和歌山県認定の「紀州備長炭指導製炭士」に選定されている廣田喜八さん(58)は、ふたりのお弟子さんと共に(一人は息子さん)備長炭を生産しておられます。
煤で汚れた顔に光る白い歯が印象的な喜八さんは、初対面の私をあたたかく迎えてくださり、いろんな話を聞かせてくださいました。気さくな感じの方で、私と話をするときはやさしい笑顔で答えてくださるのですが、お弟子さんの作業を見つめる時は鋭く厳しい目に変わっていました。
喜八さんは幼い頃から父親について備長炭を焼く作業を見習われました。そして、大塔村に落ち着いて約20数年、紀州備長炭の歴史を守ってこられました。
後継者の指導にも熱心で、今までも数人のお弟子さんが一人立ちして独立されています。
喜八さんが子供の頃は、山から山へと原木のウバメガシのあるところを探して、ウバメカシの生えているところに窯をつくり炭を焼いていたそうです。現在は道が広くなり、原木をトラックで窯まで運べる為、一カ所に窯を作って焼けるようになりました。炭焼き作業も、昔は完全な手作業だったのに比べ、今は真っ赤に焼けた備長炭を運ぶためにフォークリフトを取り入れて、少しは楽になったそうです。
しかし金属のように硬く、キーンと高い音のでる質の高い備長炭を焼くには、長年の経験と養われた勘が必要です。喜八さんは炎の色や煙の色や臭いから判断し、窯出しのタイミングを測ります。この窯だしのタイミングがポイントで、遅くても早くても良い炭は出来ないのです。ですから、場合によっては夜中から窯だし作業を始めることもあるそうです。炭を焼く職人によって備長炭の出来上がりは違ってくるのです。
「どのぐらいで一人前の炭焼き職人になれるのですか?」と私が質問したところ、
「ただ備長炭を焼くだけなら1年で焼けるようになる。でも、良い炭を焼くとなると・・」と喜八さん。
「どれぐらいで喜八さんが焼いたような備長炭がやけるのですか?」とまた聞くと、
「わしもまだまだや、これからもっと良い炭を焼けるようにがんばらんと」とおっしゃっておられました。二十数年備長炭を焼いてこられて、これだけの備長炭を焼いておられるのに、まだまだこれからとは、まさしく職人なんだとつくづく思いました。備長炭を焼くというのは奥が深い仕事です。
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